設計者は京都の茶人。この頃、経済難、気候不順が重なり、農民の生活が苦しくなっていました。その救済事業として、村人に仕事を与えるため建てられることとなったのです。当時の村人総動員により7年間の長きに渡たる歳月を要しました。材料は大阪より厳選されたものが、幾日も馬車を連ねて運ばれ、その中からさらにより良い材料だけを用いました。その時、残った材料でほかに3軒もの家が建ったということからも贅沢な素材選びがうかがい知れます。
広間は直径2m近い大木から4本しか取れないという四方柾の床柱で支えられ、また、大正ガラスとしては気泡、波打ちのない現在のガラスと見分けのつかない最良のものが使われ、釘は一本も使わずに建てられているのです。
明石の間は、かつて明石城藩主松平家の茶室を移築したもので、その細やかな作りは今では再現不可能といわれております。
また、裏庭の石は、加古川が蛇流していた頃の自然石です。
▼みとろ苑庭園(PDFファイルmitoroen_teien.pdf 0.99mb)
|